2015年10月14日水曜日

国民国家論について

どうも野良猫です。本日2回目です。

前回の件については一件落着をしましたので、今回はちょっと真面目な事をつらつらと書いて参ります。
ちゃんと説明できるかについては、実は自信がありません。
なぜかというとすごく抽象的で、難しい話だからです。
でも、私達の日常に関わる事でアイデンティティに関わる事なので、とりあえず書いていきます。

なお、この分野に関わってくる人は社会科学の祖と呼ばれる人たちで全ての社会学系学問に影響を与えています。
それは経済学にしろ経営学にしろ同じですので、皆さんの日々の仕事のどこかで関わっているかもしれません。
今回も最後にベトナム美女を紹介しますので、そこまですっ飛ばして頂いてもかまいません。

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まず国民国家論についての定義を確認します。
社会学の論文ではまず定義を固めるのでそれに倣います。そうしないと言葉の捉え方で齟齬が出てきてしまうからです。

日本大百科全書より一部抜粋。参照先はこちら。

17世紀のイギリス市民革命、18世紀のフランス革命にみられるように、絶対王制に対する批判として君主に代わって国民が主権者の位置につくことにより形成された近代国家、あるいはその近代国家をモデルとして形成された国家を指す。
 国民国家は、国民の同質性を前提として統合された。国民という均質で固定された主体性の構築は、他方で雑種的でしかありえない言語や文化、またそこから逸脱する少数者に対して抑圧的、排他的な現実をつくり出した。社会科学や文化研究の領域では、どのような文化・政治的装置によって国民という均質的な「想像の共同体」が現れたのか、国民は歴史的な構築物であるにもかかわらず、なぜ言語や民族によって一定の過去、伝統、文化を保持するものとして自明視されたのか、なぜ国民の形成が人種主義や性差別、外国人恐怖、階級といった社会的な差別構造を伴うのかといった事柄を分析する作業が進められている。
1983年には、こうした国民国家論の嚆矢となる、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』Imagined Communityが登場した。同書は、近代社会への移行期に登場した世俗語革命による近代小説の成立と出版資本主義によるその流通が国家語の成立に寄与し、言語と出版文化の共有を通じて国民という集団的なアイデンティティが形成されていく社会編成と機制を提示した。

ベネディクト・アンダーソンの想像の共同体は1983年発刊ですので、このナショナリズム研究っていうのは極めて新しい分野です。わたしより4歳しか違いません。
でも、扱われているのは17世紀~18世紀の学者や事例研究です。頭が痛くなります。

さて、このベネディクト・アンダーソンっていう人ですが経歴を確認します。
参照元はこちら。

ベネディクト アンダーソン
Benedict Anderson



国籍
アイルランド

専門
政治学者

肩書
コーネル大学名誉教授

生年月日
1936

出生地
中国 雲南省昆明

学歴
ケンブリッジ大学卒;コーネル大学大学院博士課程修了

学位
Ph.D.(コーネル大学)〔1967年〕

経歴
1965年コーネル大学大学院博士課程に在籍中、インドネシアで起きたクーデター未遂事件に興味を持ち、事件がスハルト将軍の陰謀であるとする秘密報告書をまとめる。’68年スハルト政権発足後、名前がブラックリストに載せられ、’72年以降インドネシアへの入国を禁じられる。以来、タイやフィリピンへと研究領域を広げ、東南アジアの地域研究を基点に、文化と政治に関する世界規模の比較研究を行う。2000年福岡アジア文化賞学術研究賞を受賞。著書に「想像の共同体」(1983年)、「比較の亡霊」「ヤシガラ椀の外へ」などがある。また、クーデター未遂事件で政治犯になり、長く軟禁されていたインドネシアの作家、プラムディア・アナンタ・トゥルとは、インドネシア語で文通を続けている。2000年9月来日。

受賞
福岡アジア文化賞(学術研究賞,第11回)〔2000年〕

NPでも人気のインドネシア研究の方です。
まぁ、いわゆるアジア研究者ですね。
ちょっとした自慢ですが、このアンダーソンに私の師匠は直接師事をされた事があるそうです。

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さて、本題に入っていきますが、一回の投稿で書ききれるほど薄い内容ではありません。
興味を持たれた方は、西川長夫著「国境の越え方」をお勧めします。読みやすいです。
http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%A2%83%E3%81%AE%E8%B6%8A%E3%81%88%E6%96%B9%E2%80%95%E5%9B%BD%E6%B0%91%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E8%AB%96%E5%BA%8F%E8%AA%AC-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E8%A5%BF%E5%B7%9D-%E9%95%B7%E5%A4%AB/dp/4582763804


ここでは導入の部分を書きます。


先の定義にある「社会科学や文化研究の領域では、どのような文化・政治的装置によって国民という均質的な「想像の共同体」が現れたのか、国民は歴史的な構築物であるにもかかわらず、なぜ言語や民族によって一定の過去、伝統、文化を保持するものとして自明視されたのか」という所がポイントです。

想像の共同体というのはアンダーソンの著書の名前であり、国民国家そのものを指します。英語でいえばImagined Communityです。

まず結論から書くと国家や国民というものは人が作ったもので、自然発生したものではありません。
また、言語や人種、国境、人間世界に存在するものは全て誰かが作ったものです。

例えば木が目の前にあったとします。
言葉を持たない原始人が木を目にした時に「うほっ、うほうほ」と言ったとします。
いつかその「うほっ、うほうほ」という音は木を指すようになり、日本では”き”という音となり、木という概念になりました。

この過程をソシュールという言語学の先生は記号論でシンフィニとかシンフィニアンと呼びました。
ある概念を誰かが意味づけを行い、いつの間にか同じ存在となったという事です。
しかし自然に考えれ”き”そのものと、木は異なる存在です。
誰かが意味づけをするまでは、それは何かは分からない何かであり続けます。

研究者の中には製品のブランド化を研究した人もいました。
なぜルイ・ヴィトンは高級ブランドと認知されるのかという事です。
ここではマスメディア論が出てきます。
また、ソシュール先生の記号論も理解しておく必要があります。

ジェンダー論を研究する人もいます。
なぜ女性の性は消費されるのか、なぜ女性は着飾らなければならないのか。という問題意識です。

アンダーソンは国民という何かが意味づけされる過程を明らかにしました。
また、同時に国家とは何かを明らかにしました。

簡単にここで<公定ナショナリズム>と<民衆ナショナリズム>について書きたいと思います。
参照元は師匠の論文です。

これは活版印刷が登場した頃のヨーロッパに遡ります。
それまではラテン語で書かれた聖書のみがあり、ラテン語が読める人=アッパークラスの人でした。
また聖書の内容を人々に伝える事ができたので、アッパークラスの人はラテン語によって上位層にいることができました。

しかし、活版印刷によってラテン語が分からない中間層や下位層の人たちは自分達の言葉で書かれた聖書を読む事ができるようになりました。
そこで出てくるのはアッパークラスの人たちと庶民の交流でした。
これまでは上から下に教えてきた聖書が、対話によって理解され、概念の交流が起きるようになったのです。
この過程では聖書のみならず国家論や社会についての話し合い等々、広い交流があったのでしょう。ここで民衆によるナショナリズムが生まれたのでしょうか。
アンダーソンは「なんらかの根深いイデオロギー的衝動、ましてプロ ト・ナショナルな衝動など、まったく伏在していなかった」と言っています。

つまり民衆ナショナリズムというのは公定ナショナリズムに反する形のボトムアップ型のナショナリズムではないという事です。これは保守派の人たちが言う昔から国民(民族)が存在していたというのを否定しています。


また公定ナショナリズムというのが上からのナショナリズムと考える人もいますが、それも違うとアンダーソンは言っています。
ここからは参照元をそのまま引用します。

た しかに《公定ナショナリズム》には、「国家統制下の初等義務教育、国家の組織する宣伝活動、 国史の編纂、軍国主義」(Anderson 1991: 101)などの政策がともなわれている。ここから《公定ナ ショナリズム》は、支配者や、君主、官僚などによる上からの国民化のプロジェクトを意味して いるようにみえる。しかしながら、アンダーソンの力点は、《公定ナショナリズム》が、「1820年 代以来、ヨーロッパで増殖してきた民衆的国民運動の後に、それへの応戦として (強調原文)、発 展した」(Anderson 1991: 86)というところにあるようである。 これらのナショナリズムは、民衆の言語ナショナリズムの登場までは、歴史的に「ありえ ない」ことであった。なぜなら、公定ナショナリズムは、ほんとうは、民衆の想像の共同 体から排斥されるか、そのなかで周辺化されそうになった権力集団─それは主として、 王朝、貴族であったが、いついかなるところでもそうだったというわけではない─によ る応戦だったからである。(Anderson 1991: 109)』

つまり現代において議論されているような国民国家は権力によって構築されたものであるという言説は正しいのだが、それが昔から一貫していたものではなく、むしろ既得権益であった王朝の生き残り戦術のようなものだったということです。

また民衆によるナショナリズムもイデオロギーや国民としての自覚は持っておらず、超自然的なものではないということである。

ただ現実問題として、誰もが誰かが作ったナショナリズムの基で生きなければならず、その中でどのようなアイデンティティを持って生きていくのか、そういう議論がこのアンダーソン以後の研究となって参ります。

詳しくは国境の越え方から読んで頂くのがよいかと思います。


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欄外編 本日のベトナム美女


こちらの美女はVu Kim Chi様。
1991年生まれのお方です。400万ドンで会計の仕事をしていたが、独立し美容サロンを開いたお方です。
美の探究者らしくお美しいですね。

















参照元:
http://eva.vn/lam-dep/9x-xinh-dep-ha-noi-kiem-bon-tien-nho-nghe-noi-mi-c58a201955.html

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